【尋問傍聴レポート】カオス*ラウンジによるハラスメントの有無をめぐるそれぞれの証言から日本現代美術業界の問題を考える⑴

高橋沙也葉(京都大学大学院博士後期課程、美術史研究)



はじめに

訴訟の概要
現代美術集団「カオス*ラウンジ」および合同会社カオスラの元代表である黒瀬陽平氏、スタッフK氏、社員F氏ら(以下敬称略)から辞職強要および不当解雇などのハラスメントを受けたとして、安西彩乃氏が彼らを提訴した裁判の尋問が、2022年6月2日午前10時半頃、東京地方裁判所の法廷で開かれた。

2022年8月現在、安西とカオスラの間では二つの訴訟が並行して進行している。両者が共通して認めているそれら二つの訴訟までの大まかな経緯は次のようなものだ。2019年4月、当時カオスラの代表であり「ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校」の講師であった黒瀬陽平から誘いを受けた安西はティーチング・アシスタントとして同校で勤務を開始し、その一ヶ月後には黒瀬によってカオスラのアルバイトにも抜擢される。そして2019年7月、黒瀬のアプローチによって安西と黒瀬のあいだで異性関係が始まる。次第に職場でより多くの業務を任されるようになっていた安西は、2019年9月には交渉の末マネージャーとしての地位を与えられ、カオスラのスケジュール管理やギャラリー業務、各企画の進捗管理にも正式に携わるようになる。黒瀬は当時36歳で既婚者、安西は24歳で独身であった。

それからおよそ一年後の2020年5月、黒瀬の妻に二人の異性関係が発覚する。直ちに安西は、不貞行為の損害賠償の一つとしてカオスラを退職するよう黒瀬の妻から要求を受けるようになった。退職は不当であると感じていた安西は、黒瀬、カオスラのスタッフK、社員Fにそれぞれ相談を持ちかけ、6月には4者間での会議が行われた。会議では、黒瀬の家庭やカオスラの活動の今後が考慮された上で、「安西のカオスラ退職は妥当であり、自主退職をしない場合の解雇はやむを得ない」という意思表示がなされ、安西は退職を申し出た。なお、この時期に安西と黒瀬の間で「安西の精神的損害に対し、黒瀬が賠償金を支払う」という内容の合意書が締結されている。

退職から1ヶ月ほどが経った2020年7月半ば、一年間の出来事——黒瀬との異性関係、関係が発覚してからの対応、そして安西に対してのみ課された極めて重い処分——を振り返り、自分が受けたのはハラスメントであったと自覚した安西は、カオスラ周辺の関係者に相談を行う。関係先企業から事情の聞き取りを受けたカオスラは、すぐにプレスリリース『弊社代表社員によるパワーハラスメントについて』を公開し、それぞれのTwitterでも謝罪文を投稿した。しかし、その内容に不信感を覚えた安西は2020年8月1日に自身の視点に基づくより詳細な経緯を記した文章『黒瀬陽平と合同会社カオスラによるハラスメントについて』をnoteに投稿する。その文章の中で安西は、そもそも黒瀬との異性関係はカオスラ代表としての立場を利用した黒瀬のセクシャル・ハラスメントから始まったものであること、また関係が発覚した際には黒瀬、スタッフK、社員Fによって望まない退職に追い込まれたことを記し、セクシャル・ハラスメントとパワー・ハラスメントの被害を訴えた。

その後、安西とカオスラの間で協議が試みられるも、和解に至ることはなかった。2020年10月になるとカオスラは謝罪を撤回し、安西の訴えが虚偽のものであり、カオスラの名誉を毀損したとして、安西とnote株式会社を人格権の侵害・名誉棄損で提訴した。安西の訴えに対してカオスラが起こしたこの第一の訴訟(名誉毀損訴訟)を受けて、安西が支援者らの協力を得ながら提訴を行って始まったのが、2021年2月より進行中の第二の訴訟(不当解雇・パワー・ハラスメント訴訟)である。

これら二つの訴訟は、大まかにいえばどちらも「安西が被害を訴えているハラスメントは存在したといえるか」を争点とし、今日まで並行して議論を重ねてきた。このように二つの訴訟の争点が重なる場合には、どちらかの訴訟で行われた尋問の記録をもう一方の訴訟で参照して用いることが認められる。そのため、実質的には二つの係争全体に関わる証言の機会として行われたのが、本稿で取り上げる2022年6月2日の尋問(不当解雇・パワー・ハラスメント訴訟)である。

尋問とはどのような場か
さて、当日の状況について論じるに先立ち、この「尋問」がどのような場であるかを簡単に確認しておきたい。民事裁判では一般的に、訴えを起こす人(原告)と訴えを起こされた人(被告)のそれぞれが、ある訴えの内容が事実かどうかについて争うために、法的な観点からサポートを行う弁護士とともに主張を記した書面や証拠を作成し、最終的に双方の言い分を吟味して判決を下すこととなる裁判所に提出していく。そして、両者の主張が出揃い争点が明らかになったところで、裁判官の立ち合いのもと行われるのがこの当事者尋問である(本人尋問とも呼ばれる)。

尋問では、原告と被告の双方が順に証言台に立ち、自分側と相手側の弁護士からそれぞれおよそ30分から一時間のあいだ様々な質問を受け、回答を行っていく。ここでは、自分側の弁護士からは自らの主張を補強することに役立つような質問が、反対に相手側の弁護士からはその主張の矛盾点を突くような(すなわち相手側の主張を補強するために役立つような)質問が行われることとなる。多くの場合、尋問に向けて原告・被告はそれぞれの弁護士とリハーサルを行い、また相手側が提出した書面や証拠の内容を十分に確認して対策を行うなど、当日の証言に備えている [★1]。しかし先述のように、互いの主張の矛盾点を追求するような場面においては、これまで語られてこなかった事の経緯や、当事者のより率直な心情が明らかにされることもある。それは裁判官にとって、これまで書面で提出されてきた主張と証拠をどのように理解するべきか、そして双方で主張の食い違いがある箇所についてはどちらがより理にかなっているかを見極めるための重要な検討材料の一つとなる。

尋問当日である6月2日には、当事者の口から直接経緯が語られるこの機会のために少なくない数の人々が集まった。北709法廷はおよそ一般的な小学校の教室ほどの大きさで、新型コロナウィルス感染症対策で20席ほどとなっていた傍聴席は開廷の5分前には満席となった。法廷では、傍聴席から見て左手に安西と安西弁護人、そして右手にスタッフKと社員F、そして黒瀬弁護人とカオスラ弁護人が座っていた(黒瀬は自らの尋問にのみ出席し、それ以外の時間、法廷内に彼の姿はなかった)。10時20分頃、裁判官らが入廷して全員起立で一礼が行われると、この日17時過ぎまで続く長い尋問が始まった。

二編にわけて発表される本レポートは、尋問を傍聴した筆者がその場に立ち会って得た所感とともに、それぞれの口から語られた主張を検討した上で、両者の認識の差異がどのようにして生まれ、またその差異が日本の現代美術業界の構造的問題とどのように関わっているかを論じることを目的としている。前編にあたる本稿では、尋問当日のタイムラインに沿って安西、黒瀬、スタッフK、社員Fの証言の中からとくに重要であると思われる部分を取り上げて整理することで、両者の主張の全体像を掴み、議論の土台を作ることを試みる。なお、Be with Ayano Anzaiでは「尋問調書」(尋問の全文書き起こし)も同時に公開される予定である。ぜひ本稿とあわせて参照されたい。

[★1] 尋問に際しては裁判所が設定した期日までに書面・証拠を提出することが求められるが、カオスラ弁護人はこの期日を一ヶ月ほど超過した尋問の二日前に新たな証拠を提出した。安西側が直前までこれらの証拠へのアクセスを得られなかったことから、この日の尋問は裁判長による「これでは原告(安西側)は対策の行いようがなく、対策を防ぐためだったと思われても仕方がない」という厳しい注意から始まった。本件は黒瀬、スタッフK、社員Fの意思とは無関係に起きたことであると筆者は判断しているが、本やりとりが尋問調書に残っていないことを受け、記録としてこの場に書き記しておくこととした。



1. 安西の証言

安西弁護人から安西への尋問
本訴訟において最も重要な争点となるのは、安西と黒瀬の異性関係が黒瀬の妻に発覚してから安西がカオスラ退職に至るまでの経緯の内実である。この時期、安西はカオスラによるパワー・ハラスメントおよび退職勧奨があったと主張している一方、黒瀬・カオスラは安西が自主的に退職を行ったと主張している。

この点についての安西の主張をもう少し詳しく見ておきたい。安西によれば、2020年5月、黒瀬の妻から安西のもとに慰謝料に加えて新芸術校のティーチング・アシスタントとカオスラのアルバイトの退職を求める旨の書類が届くが、安西は不貞行為を理由とした退職の要求は不当であるとして両社の退職を拒否していた。しかし、それを受けて黒瀬妻との関係性の悪化を恐れた黒瀬は、安西に対して「退職に応じなければカオスラから解雇を行う」と繰り返し退職勧奨を行うようになる。安西は黒瀬に対して抗議を続けていたが彼の要求は変わらず、やがて安西は公正な判断を求めてスタッフKと社員Fに相談を持ちかける。2020年6月5日、黒瀬、安西、スタッフK、社員Fの4名間で会議が行われるも、ここでもスタッフKから終始威圧的な態度で「自主退職しなければ解雇する」とまくし立てられたことから、安西は失意の中で抗議を断念する。会議では黒瀬の処分が保留にされた一方、こうして安西の処分のみが問題とされ、厳しい退職勧奨によって退職にまで追い込まれた、というのが安西の主張である。

安西弁護人はこうした安西の主張の証拠として、まず黒瀬が2020年5月7日、妻に異性関係が発覚した直後に安西に送信したメッセージの履歴を取り上げた。そのメッセージで黒瀬は、たしかに「とにかく、(安西が仕事を続けることは)無理だということを分かってもらうために、もうちょっと整理します」「それでわかってもらえなかったら、あとは弁護士からの連絡になります」「じゃあ、新芸術校とカオスをやめる、これを飲んでくれればいいです」と述べている。安西は、退職をめぐるこうしたやりとりが一ヶ月近く続いたことを証言した上で、退職の要求に抗議し続けた理由を問われるとはっきりとした口調で次のように説明した。 

安西弁護人:あなたが理不尽だって考えた理由について、簡単に説明してください。
安西:理由は大きく分けると二つありまして、まず一つ目としては、黒瀬と私の関係性の上で、不貞行為という点については、私は黒瀬の妻に対して、配偶者に悪いことをしたとは考えていますが、ただ、不貞行為の当事者っていう点で言えば、黒瀬も同じ立場であるはずなのに、一方の当事者である黒瀬の要求によって私が会社を辞めさせられるっていうのは理不尽でおかしいと思ったという点が一点目です。
二点目としては、まずそもそも私と黒瀬の関係性というのは、黒瀬のセクハラを発端に始まったことであって、私と黒瀬の関係性っていうのが責任っていうのが1対1ではなく、せいぜい2対1っていうふうに私は考えていました。以上です。

安西はここで、会社による不貞加害者への処分として考えるにしては黒瀬と安西の処分が非対称すぎると感じていたこと、さらにそもそも黒瀬と安西の異性関係の発端は黒瀬によるセクシャル・ハラスメントにあったことから、安西のみが処分を受けるのではなく、むしろ黒瀬が安西より大きな責任を負うべきであると考えていたことを説明している。

ここで触れられているように、今回の訴訟のもう一つの争点は、黒瀬によるセクシャル・ハラスメントの有無であるだろう。次節で黒瀬の主張との比較・検証を行うために、ここでもまずこの点についての安西の主張を確認しておきたい。安西によれば、2018年7月、あるトークイベントの打ち上げに参加した安西は、パネラーであった黒瀬に声をかけられ、初対面であったが「二人でどこかに抜けたい」と打診を受ける。安西はその誘いを受け流したが、作家・美術批評家としての黒瀬への尊敬の念もあって、その後は黒瀬から声がかかればトークイベントを訪れたり、ともに展覧会に赴いたりするなど、交流を持つようになる。2019年春、安西は黒瀬による抜擢で新芸術校およびカオスラでの勤務を始めるが、間も無くして黒瀬から他のスタッフより早い時間にスタジオに呼び出されるようになり、二人きりの状況で過剰なボディタッチを受けるなど、セクシャル・ハラスメントの被害に遭うようになる。

安西によると、当時職場で「黒瀬に気に入られているから仕事を与えられている」と噂されて自信を失っていたこともあり、黒瀬による接触を強く拒否できない日々が続いたという。2019年7月には、黒瀬の要求に折れて職場でのオーラル・セックスに応じたことをきっかけに、二人のあいだで異性関係が始まる。同年11月、業務上でも異性関係の面でも「都合よく搾取されている」と感じた安西が苦痛を黒瀬に訴えると、黒瀬は「恋愛関係であると認識していた」と反省の弁を述べ、安西に「恋人」としての関係を申し込む。安西はこのとき、黒瀬との関係を「恋愛関係」として理解したほうがこれまでの苦痛が解消されるように感じ、交際を受け入れて一ヶ月ほどの間は「恋人同士」という認識で過ごしたという。

しかし、安西はすぐに既婚者である黒瀬と不貞関係に陥ったこと、そして業務と異性関係の混同が継続されていることに苦しむようになり、黒瀬に繰り返し関係の解消を申し出るようになる。ところが安西によれば、黒瀬からは交際の解消が安西の離職に繋がることを示唆する発言が度々あったことで、関係の継続を強いられていた。そして2020年5月、黒瀬の妻に二人の異性関係が発覚した際、事態の収束を図ろうとする黒瀬の対応を受けた安西の不信感は確かなものになり、ハラスメント被害の自覚が固まっていったという。

なお、2020年6月に安西と黒瀬の間では合意書が締結されており、黒瀬は「乙(黒瀬)が関係を強要したことにより甲(安西)が被った精神的損害について」賠償責任を認める書面に署名し、賠償金を支払っている。このため安西側は本訴訟において、「訴訟前の黒瀬はセクシャル・ハラスメントの存在を認めていた」という前提のもとで主張を行っている。尋問において安西弁護人は、黒瀬が訴訟前にセクシャル・ハラスメントの加害を認めているということを強調するために、黒瀬が2020年5月2日に安西に送った「加害性を自覚してる」というメッセージを取り上げ、安西に確認を行った。
 
安西弁護人:真ん中辺りに、これはあなたと黒瀬さんの5月2日、奥さんに不貞が発覚する直前のやり取りなんですが、真ん中の方、あなたの発言として、「黒瀬さんの方から寄ってきて、仕事での関係と都合のよい親密な関係を求めてきた」と、これはセクハラっていう意味なの。
安西:はい、そうです。
安西弁護人:一番下の方、黒瀬さんが「加害性を自覚してる」っていうふうに言ってるんだけど、黒瀬さんはあなたにどういう加害をしたっていうふうに思いますか。
安西:会社の代表という立場を利用して、私的な性的関係を強要したことです。

安西はここで、5月2日の時点で自らが既に黒瀬に対して二人の関係の発端についての不信感を伝えており、黒瀬が自身の非を認める旨の返信を行っていることを証言している。また、加えて安西弁護人は、「関係の強要」を認める合意書の締結時にも、当時黒瀬からその内容について特に異議などがなかったことを確認した。こうして安西は毅然とした態度でパワー・ハラスメントとセクシャル・ハラスメントの被害を裁判官に訴え、安西弁護人からの尋問を終えた。

黒瀬・カオスラ弁護人から安西への尋問
一方、続く黒瀬弁護人から安西に対する尋問では、安西が主張するハラスメントの存在に疑いを投げかけるための問いが重ねられた。後に確認する通り、これらの問いは同時に黒瀬の主張——「黒瀬は妻を失いかねない立場にありながら安西に脅されていた」のであり、黒瀬に対してむしろ安西の立場のほうが強かったのであるから、安西は望まない退職勧奨を受けていたのであれば拒否できたはずである、というもの——を補強するものとなっている。例えば黒瀬弁護人は安西への尋問において、2020年5月半ば、安西と黒瀬の関係が悪化し、安西の退職が検討されるようになった時期、安西が黒瀬に送っていた複数のメッセージを読み上げ、「あなたの発言で間違いないですか」と確認した。そのメッセージの中で安西は、「私は黒瀬さんとの信頼関係を諦めたら、みんなに事情を話して、黒瀬さんの離婚も確実になるように情報を公開するつもりです」「私の好意を利用して黒瀬さんが不誠実な対応をするなら、本来の事実関係や現在の関係性について相手方に見えるように明かすつもりです」と述べている。

また、黒瀬・カオスラ側が加えて強調するのは、安西は2020年6月5日の会議の前後で黒瀬やスタッフK、社員Fに友好的な態度をとっていたのであり、このときハラスメントや違法な退職勧奨を受けていたとする安西の訴えは合理的でない、という主張である。黒瀬弁護人は安西への尋問で、2020年6月5日、4者間で会議が行われる前日に安西が黒瀬に送ったメッセージ——そこで安西は「私と黒瀬さんでもサポートしあおう」「今後も一緒にいたいと思っているとかそういうことは言わない方がいいとおもう」と発言している——を続けて読み上げ、安西に確認を行った。そのほかにもカオスラ弁護人は、会議の際に安西がスタッフKにケーキを渡したという事実や、会議の数日後に安西がスタッフKと社員Fに「よかった いつもスタッフKと社員Fに支えられています ありがとう」というメッセージを送っていることなどを取り上げ、安西の友好的な態度を強調した。

黒瀬・カオスラ弁護人から安西に対するこうした尋問の中で最も緊迫感をもって行われたのは、2020年6月5日の会議の後の安西の行動を確認する以下のやりとりであった。

カオスラ弁護人:ちょっと読み上げます。「会議が終わり、Nスタジオを出て家に帰る途中、歩いていて突然涙があふれ出ました。スタッフKの糾弾から解放された安堵感、社員Fに裏切られた屈辱感、会議でなにもいえなかった悔しさ、黒瀬さんに対する怒り、カオスラで働くことができなくなった喪失感、さまざまな感情がない交ぜになってこみ上げてきました。その日は、何度も道でしゃがみ込み、休みを取りながら、どうにか家まで辿り着きました。」というふうに(安西の陳述書に)記載されています。この会議が終わった後、この日ですね、あなたは一人で帰ったんですか。
安西:家に帰るのは一人でしたが、会議が終わった後に黒瀬に今後の流れがどうなるかについて話をしました。
カオスラ弁護人:会議の後に黒瀬に会ったということですね。
安西:はい。会議の後に黒瀬と話をしました。
カオスラ弁護人:どうしてなんですか。
安西:会議の場で会っているので、そのまま引き続き話をしました。
カオスラ弁護人:そうするとこのスタジオ内ですか。
安西:いえ、スタジオから出ました。
カオスラ弁護人:スタジオから出て家に帰る間に、黒瀬さんと会っていたということですね。
安西:家に帰る間ではなくて、スタジオから出てそのまま、一旦話をして、話が終わって家に帰りました。
カオスラ弁護人:では、スタジオ、その会議の当日、会議が終わった後、黒瀬さんと二人で会ってるってことですね。
安西:はい。

ここでカオスラ弁護人は、会議のあとに黒瀬と安西が共にその場を後にしたことを「会議の後に二人で会っていた」と言い換えて繰り返し質問を行っている。安西は最後まで腑に落ちない様子であったが、最終的には根負けする形で「はい」と答えた。午前の尋問は、会議後の安西の行動が「被害者」として合理的でないことを強調するこうしたやりとりの末に、法廷に張り詰めるような緊張感の余韻を残したまま終了した。

2.   黒瀬の証言

黒瀬弁護人から黒瀬への尋問
一時間半ほどの昼休憩を挟んだ午後一時過ぎ、法廷は再び傍聴人で満席になっていた。時刻通りに黒瀬が法廷に現れて証言台に立つと、黒瀬弁護人から黒瀬に対する尋問が始まった。先に安西の主張を確認したように、ここでもまず黒瀬の主張を確認しておきたい。

第一に、黒瀬は安西へのセクシャル・ハラスメントの存在を否定している。黒瀬が主張する経緯によれば、2019年4月、安西がカオスラでのアルバイトを始めたことをきっかけに二人は次第に親密になり、同年5月より恋愛関係となった。その上で黒瀬は、二人が初めて肉体関係を持つことになった際には確かに安西の意思を確認したと主張している。(ただし、黒瀬は二人の恋愛関係および異性関係の始まりの具体的な時期や経緯についての証言をこれまで行っておらず、「安西からの好意を感じ、自らも安西に対して好意を抱くようになる中で徐々に親密になった」「2019年5月頃より恋愛関係になってからは異性関係を持つこともあった」という上述の主張のみ行っている。安西が二人の異性関係の発端になったと主張する職場でのボディタッチやオーラルセックスの要求などについても、黒瀬はこれまで一切の言及を行っていない。)
黒瀬によれば、二人は恋人として穏やかな時間を過ごしていたが、2019年末になると安西が黒瀬に対して様々な不満や要求を伝えるようになり、関係性が悪化し始めたという。2020年5月、黒瀬の妻に安西との異性関係が発覚した際、黒瀬は直ちに安西と連絡を取るのをやめることを考えたが、「一方的に連絡を断つようなことがあればこれまでの二人の関係を公にする」と安西に脅されていたため、言いなりにならざるをえなかった。また、この頃も安西は「ほとぼりが冷めた時にパートナーとして一緒にいたい」という旨の発言をすることもあるほど、黒瀬に好意を持っているように見受けられ、ハラスメントに関する訴えなどは聞いたこともなかった、と黒瀬は主張する。

前節で述べたように、2020年6月に安西と黒瀬の間では「乙(黒瀬)が関係を強要したことにより甲(安西)が被った精神的損害について」賠償責任を認める内容の合意書が締結されている。しかし黒瀬はこの合意書について、安西と黒瀬妻との間で結ばれた合意の内容上、黒瀬の妻に支払う慰謝料などを安西と黒瀬が折半することはできないという事情から、「事実とは違うが名目上」このような言い回しにして黒瀬が半額を負担できるようにしたに過ぎないと主張している。また、その後もカオスラや黒瀬が安西による告発を危惧して意に反して謝罪を行う場面はあったが、そこにハラスメントの存在を認める意図は一切含まれていなかったとする。

黒瀬弁護人から黒瀬への尋問では、こうした主張を補強するためのやりとりが重ねられた。黒瀬は「安西さんと恋愛関係にあったときに、性的な関係を持ったことも当然あると思いますが、安西さんの意思を確認したことはありますか」と問われると、はっきりと「あります」と答え、「私が既婚者であるということも鑑みて、確認した方がいいなと思いました」と続け、性的関係が恋愛関係に先行していたとする安西の主張を暗に否定した。さらに、黒瀬弁護人は引き続き、2020年5月頃に安西が見せていた友好的な態度や、黒瀬との関係性の公表を「盾」にして処分の交渉を行う発言などを取り上げ、安西がハラスメントや退職勧奨の被害者であったという主張は非合理的であると印象付けた。さらに黒瀬は尋問の中で、自身の立場の優位性を利用して安西と異性関係を結んだことを否定するため、次のように証言した。

黒瀬弁護人:あなたと安西さんは、上司と部下という関係性でしたけども、恋愛関係において上下関係はありましたか。
黒瀬:あったと思います。
黒瀬弁護人:どっちが上だったんでしょうか。
黒瀬:安西さんが上でした。
黒瀬弁護人:どうしてそう思いますか。
黒瀬:私既婚者ですので、その後ろめたさもありましたし、安西さんの方が常に、家族よりも優先してほしいということで怒られることが多かったので、できるだけ彼女の機嫌を損ねないように努力してました。

ハラスメントをめぐる訴訟で一般的に問題になる「上下関係」を本訴訟に当てはめるならば、それは著名な現代美術集団の代表として、美術批評家として、そして講師として多大な影響力を持ち、安西に仕事を与えていた三十代後半で既婚者の黒瀬と、作家としてこれからの進路を模索しながら、カオスラでの業務で実績を残したいと考えて業務に励んでいた二十代前半で独身の安西の立場の差のことを指し、当然黒瀬が「上」で安西が「下」であったということになるだろう。しかし黒瀬はここで、職場におけるこうした立場の不均衡性を否定するばかりでなく、むしろ安西のほうが立場が上であった、という極めて強気な主張を展開している。こうした主張には、二人の社会的な立場の差を裏返して「むしろ黒瀬の方がより多くのリスクを負っていた」と考えることで、黒瀬の立場の優位性を打ち消す視点が見てとれる。

また、黒瀬は安西へのパワー・ハラスメントおよび退職勧奨の存在も否定している。黒瀬が主張する安西の退職までの経緯は次のようなものだ。安西の異性関係が黒瀬の妻に発覚し、安西のカオスラ退職が求められるようになった2020年5月、黒瀬は事態を収束させるために妻の意向に寄り添う必要を感じる一方で、安西のみが退職となることは避けたいと考えていた。そのため、この時期に黒瀬が送った「退職に応じなければカオスラから解雇を行う」というメッセージに退職勧奨のような意図はなく、あくまで今後の選択肢を話し合うために黒瀬の妻の意向を伝達するためのものであったという。また、安西も会議の際には既にこうした状況を受け止めており、自ら退職を申し出る結果となった。ゆえに安西が無理に退職させられたという経緯は存在せず、パワーハラスメントの訴えは「事実無根の誹謗中傷」である、ということである。

黒瀬弁護人による尋問では、こうした主張をサポートするために「一見退職勧奨のようにも読める」メッセージの本意について黒瀬が弁明を行う場面もあった。

黒瀬弁護人:「じゃあ、新芸術校とカオスをやめる、これ飲んでくれればいいです」、「それだけを言ってます」、「そうじゃなければ訴訟になる」と言ってますが、これは退職を求めてるんじゃないんですか。(中略)一見して辞めろというようにも読めなくはないですが、これはどういう趣旨ですか。
黒瀬:現状、今のままでいくとこういうことが起こりうると。それをどうやって我々にとっていい方向に着地するために何をするべきかっていうことについて話し合ってる文脈ですね。これは全体。
黒瀬弁護人:状況を説明したということですか。
黒瀬:はい。

黒瀬によれば、安西の退職はあくまで黒瀬の妻の希望であり、こうしたメッセージについても黒瀬自身は今後の選択肢を話し合うためのやりとりの過程の中で上記のようなことを言ったに過ぎない、という。その後、「安西を退職させたくなかったのはなぜか」と問われると、黒瀬は「原因は不倫ですから。お互い加害者ですから。どちらかを重く処分するというのはやっぱり公平ではないなと、気の毒だなという気持ち(が)あります」と回答し、そもそも黒瀬自身は安西の退職を望んでいなかった旨を強調した。

安西弁護人からの黒瀬への尋問
黒瀬による「退職に関するメッセージは妻の意向を伝えていたのみである」という主張に対し、安西弁護人はこうした説明からは逸脱する表現が用いられているメッセージを証拠として取り上げ、黒瀬に対する尋問でその矛盾を厳しく問いただした。例えば安西弁護人は、2020年6月2日の黒瀬・安西間のメッセージのやりとりを取り上げ、安西による「それ(解雇)をするつもりなら話したくありません」という抗議に対して、黒瀬が「離婚になったら全部終わりだよ それはどうでもいいの?」と訴えていることを指摘し、それが「妻の意見の伝達」に留まらないものであったことを追求した。これに対して黒瀬が「安西も離婚は望んでいなかった(そのためこれは黒瀬単独の意向ではない)」と主張すると、安西弁護人は更なる証拠として2020年7月18日の両者のやりとりを挙げて尋問を続けた。

安西弁護人:安西さんが会社から追い出されたことについて、あなたは「どうしようもなかった」と言い、その後安西さんが自分の仕事を続ける権利を守るべきだったって抗議したところ、4時24分に、「どうやって守るの それを守ったら、俺は家族を失うのに?」と答えています。36枚目、時間は6時38分、安西さんが会社から追い出されるのは不当だと抗議したのに対して、安西さんを会社から追い出したのは、理由は、自分が、あなたが「家族を失うから」です(と言っています)。「それを正当な理由でないというのなら、正当な理由ではないかもしれなくても、俺はそれを選択できません」ってあなたは言ってるんです。これは妻の意見を伝えただけですか。それとも、あなたの意見を述べたのですか。
黒瀬:これは私の意見ですね。
安西弁護人:じゃあ、あなたはあれでしょう、あなた自身も婚姻継続のために安西さんに会社を辞めてほしかったんでしょう。
黒瀬:いや、そうは思ってません。
安西弁護人:それでは、あなたは安西さんを辞めさせるっていう会社の判断は、公正だったと思ってますか。不公正だったと思ってますか。
黒瀬:そもそも辞めさせてないと思います。
安西弁護人:じゃあ、質問の体裁を変えます。安西さんが会社を辞めるに至った経緯については、公正だったと思ってますか。不公正だったと思ってますか。
黒瀬:カオスラが取った対応は適切だったと思います。

ここで安西弁護人は、安西の退職について黒瀬が「家族を失うから」「正当な理由ではないかも知れなくても」やむを得なかった、と発言していることを挙げ、安西の処分に自身の意向は介在していなかったとする黒瀬の主張の矛盾を指摘した。しかし、安西弁護人のこうした厳しい追求に対しても黒瀬は表情を変えず、きっぱりとした口調で回答を重ねていった。安西弁護人の質問を訂正した上で「カオスラが取った対応は適切だった」と断言した黒瀬の答弁には、傍聴席がざわめく瞬間もあった[★2]

また先に述べたように、黒瀬は2020年7月に自身とカオスラが行っている謝罪について、「関係先企業との面談で感じたプレッシャーの中で」「安西による告発を恐れて」意に反して予防的に発表したものであり、この時には安西がハラスメントについての主張を行うとは「夢にも思っていなかった」ため、謝罪にハラスメントに関する内容は一切含まれていないと主張している。これに対して安西弁護人は、黒瀬が安西に対して初めて謝罪を行うこととなる7月22日の四日前、安西がセクシャル・ハラスメントと退職の強要について黒瀬に抗議していたことを証明するメッセージのやりとりを読み上げた。さらにそれに加えて安西弁護人は、2020年8月15日、関係先企業の面談から三週間、そして安西がnoteで詳細な経緯を公にしてからはおよそ二週間が経っているにも関わらず、黒瀬が安西に個人的に送信した謝罪メッセージの履歴を取り上げて尋問を行った。黒瀬はこれまでの尋問を通して毅然とした態度を貫いたが、安西による訴えを把握した上で自主的に謝罪を行っていたことを指摘され「これはあなたの本心を書いたということですか」と問われると、一部言葉に詰まる場面もあった。

安西弁護人による厳しい追及の時間が終わると、黒瀬はスタッフK、社員Fの尋問を待たずにすぐに法廷を後にした。黒瀬が去った後の法廷からは、緊張がほぐれた様子のカオスラ弁護人が「黒瀬さん、いつもあんな感じなんですか、すごいですね」と黒瀬の尋問での態度を笑顔で讃える声が、まだ静まったままの傍聴席まで聞こえていた。

[★2] 黒瀬の証言時の傍聴席の雰囲気について、当尋問に立ち会っていた人物がTwitterに以下のような投稿を行っている。@chisaidehissori(「地裁でひっそり」週三度は開示請求)氏によるツイート「会社から排除された証拠があるといって示すと、『(安西氏へのセクハラや退職勧奨はしていないという主張は)撤回しません』と語気を強めた。また、原告の安西氏が会社を辞めることには同意だったか?との問いに、『そもそも辞めさせていないと思います』との陳述には、法廷内で傍聴席から『まさか』『なに』という女性の小さな声が漏れたことに、事の根深さを露呈した」2022年6月2日、 https://twitter.com/chisaidehissori/status/1532351636751802368(最終アクセス日:2022年8月31日)


3. カオスラスタッフK、社員Fの証言 

カオスラ弁護人からスタッフK、社員Fへの尋問
黒瀬の尋問の終了後15分間ほどの休憩を挟んで、尋問はカオスラのスタッフK、社員Fに移った。スタッフK、社員Fはこれまで、彼らが黒瀬・安西と共に出席していた 2020年6月5日の会議におけるパワー・ハラスメントおよび違法な退職勧奨の存在を否定する主張を行ってきた。スタッフK、社員Fによる経緯の説明のほとんどは同一の内容であることから、本節では二人の証言をあわせて見ていくこととする。

まず、ここでもスタッフK、社員Fの主張の内容を確認しておく。彼らによれば第一に、安西と黒瀬の異性関係が黒瀬の妻に発覚し、安西が処分を要求されている件について相談を受けた2020年6月時点では、黒瀬によるセクシャル・ハラスメントの存在ついては一切話を聞いておらず、安西からも「不貞行為で迷惑をかけて申し訳ない」と伝えられていたことから、黒瀬・安西は共に自由意思に基づく不貞行為の加害者であると理解していた。その上で、スタッフK、社員Fは、黒瀬と安西は加害者として等しく責任を負うべきであるとして両者に処分を課すことを検討していたが、黒瀬の妻が合同会社カオスラにとって重要な取引先であったこと、そして黒瀬と安西への対応の仕方によっては黒瀬の妻からスタッフKと社員Fも不倫幇助で訴えられるリスクを負うと考えたことから、安西を退職させるという黒瀬の妻の意向に寄り添って話を進めるに至ったという。またスタッフKによれば、安西は黒瀬との異性関係上のトラブルを理由に社内の電子資料を一時的に閲覧できない状態にしたことがあったため、その一件だけでも安西に退職を促す十分な理由になると考えていた。加えて、スタッフKは安西の転職をサポートする旨のメッセージを送るなど、可能な限り安西の気持ちに寄り添う対応をしており、2020年6月5日の会議でもパワー・ハラスメントや無理な退職勧奨はなかった、と主張する。

この後で見ていくように、本訴訟では当会議の記録音声の全文書き起こしが証拠として提出されており、そこでは確かに安西に対して退職を求めるスタッフKの発言があったことが明らかになっている。その上で、カオスラ弁護人による尋問においてスタッフK、社員Fは、そうした対応を取らなければならなかった事情を説明し、会社および個人としてそれが合理的な判断であったことを強調している。

カオスラ弁護人:もう一度ちょっと質問を繰り返しますけど、社員Fさんと会議のいわば直前にどのようなやり取りをしていますか(中略)。
スタッフK:事情がよく分からなくて、まず聞こうって話が第一段階目で、二段階目として基本的にはプライベートの話なので、会社としてではなくプライベートで解決して欲しいよねっていう話はしていて、3段階目にその被害者が何を求めてるのかっていったら、その奥さん自体の今のニーズは、要するに不倫をされたって言って賠償金が欲しいって言っていて、一応その時点では何か安西さんと黒瀬さんは私たちは加害者ですというふうに言っていたので、一番最初に別に退職も求めるとかじゃなくて、最終的には奥さんのその意見っていうのを尊重するのが、(黒瀬妻が)かわいそうなんで筋な選択肢もあるだろうっていう話はしていました。

ここでスタッフKは、安西に退職を促すまでの経緯を「三段階」に分けて示し、現状やリスクを整理する中で段階的に安西の処分という判断につながっていったという事情を説明している。この後、カオスラ弁護人による社員Fへの尋問においても、2020年6月5日の会議の前の心情について、社員Fが同様の説明を行っている。

社員F:ちょっと二人がお互いそれぞれ個別に安西さんから連絡を受けていたところ、急に会社に相談したいというお話になって、ちょっと段階がちょっと変わったというか、ちょっと会社がリスクを負うっていうのが。つまりそのリスクっていうのは被害者である黒瀬さんの奥さんが何か僕とかスタッフKさんを黒瀬さんと安西さんの不倫関係の協力者だと思われかねないっていうリスクが発生したよねっていう話をしていました。

ここでスタッフK、社員Fが主張するのは、彼らは安西の話を遮っていきなり退職を突きつけたというわけではなく、はじめは「安西からの相談を個人的に聞く」ことに協力するつもりであったものの、黒瀬の妻から会社やスタッフK、社員F個人が訴訟されるリスクが段階的に上がっているためにそれが困難となったことを説明した上で、退職という選択肢を勧めざるをえないと安西に伝えたに過ぎない、ということである。

カオスラ弁護人による尋問では、これらの主張に加え、これまでカオスラから公表されたプレスリリースや謝罪文についても、周囲からの圧力によって発表を余儀なくされたものであり、パワー・ハラスメントの存在を認める意図はなかったという証言が展開された。

安西弁護人からスタッフK、社員Fへの尋問
一方、安西弁護人によるスタッフK、社員Fへの尋問では、上述の事情を踏まえた上でもなお問題があると考えられるスタッフKの会議での発言の記録が取り上げられ、厳しく追求された。スタッフKは、会議の記録に含まれる「処分します」「解雇しなければならない」「強制的にそうする」などの発言が自分のものであるかを安西弁護人に問われると、「そこだけ切り取られると語弊がある」として回答せず、前述の「三段階」の経緯の説明を繰り返し述べ、裁判官に注意される場面もあった。しかし、安西弁護人が時間をかけてスタッフKに対して尋問を行っていくと、スタッフKは当時の感情を勢いよく語り出した。

安西弁護人:なんで会議の中で自分は役員相当の権限があると、二人を処分します。安西さん、解雇します、もう待てません。これは不当解雇ではありません(ここまでスタッフKの会議での発言の引用)と、なんでそういう言い方したの。自分はバイトだからバイトの意見として言わせてもらうならば、安西さんは辞めた方がいいと思うよとなんでその発言にとどめなかったの。
スタッフK:ちょっと正直に言うと、普通に黒瀬さんとかもあり得ねえなって思ってたし、安西さんも、いや、僕はその時点では二人が不倫関係にあるっていうのをその前のとき聞いてて、何か安西さんが辞めない状況であればいいんですけど、その不倫で二人で結託して会社に迷惑が掛かる状態なのに、二人で不倫して、何かそのときはもうハラスメントとかそういう話なかったんで、ちょっと分かんなかったんです。そういうふうにちょっと僕は嫌な気持ちになったんです、そのときは。その後で何か記事が出たときにいろいろあったんで、それが真実か真実じゃないかはよく分かんないですけど、あれですけど、要するにその時点では何か、何かすごいごめんねとかいろいろもうLINEで出してますけど、と(安西から)言われてて、いや、何でこんな普通にまじめに働いてんのに何で二人で不倫して、何でこんな解散しないといけなく、何か解散するっていうか、何かカオス*ラウンジ頑張ってたのに、何かそれでこんなふうになったんだみたいな。

ここでスタッフKは、会議当時、不貞行為という黒瀬・安西の軽率な行動によってこれまで一所懸命に活動を支えてきたカオスラが不利益を被ることを受け、両者に等しく不信感を抱いていたと説明した。この後、安西弁護人による社員Fへの尋問でも、社員FはスタッフKのこうした心情を踏まえて彼の会議での態度を弁護している。

安西弁護人:ところが、会議ではスタッフKさんは処分するとか解雇するとかって連発してるんだけど、あなたはさっきスタッフKさんの発言に不思議な点はなかったって言ったんだけど、事前の相談と超えた内容をスタッフKさんが連発してるんだけど、あなたはそれを不思議に思わなかったの。
社員F:はい。まず、スタッフKさんもしどろもどろになってますけど、まず黒瀬さんと安西さんが二人そろって現場に現れるとは思ってなかったんです。なぜなら被害者のかたが既に紛争になっていて、黒瀬さんと安西さんを一緒に会わせたくないっていう希望があることを知っていたので、例えば安西さんや黒瀬さんの希望でリモート会議になったりとか、安西さんだけがリモートで参加したりみたいな形で開催されると思ったので、まず状況がスタッフKさんと僕がもう、もうよく分かんなくなっちゃったので非常に混乱していて、どういうことなんですかっていうことは何回も聞いたんですけど、安西さんも黒瀬さんも答えてくれないのでこういう流れになってるっていうか、スタッフKさんもちょっと厳しく言わざるを得なかったのかなという認識ですね。

ここで社員Fは、スタッフKは黒瀬・安西の不貞行為に失望していたことに加え、会議の時点でもなお黒瀬と安西が結託しているように見えたことから、混乱や怒りの中でスタッフKも「厳しく言わざるを得なかった」としてその対応を擁護している。このようにスタッフK、社員Fは、黒瀬・安西に不信感を募らせる中で、これ以上会社やスタッフK、社員F個人が黒瀬妻からの訴訟リスクを負うことには耐えられないという思いから、不貞行為の被害者である黒瀬の妻に寄り添う形で対応を進めたことを証言した。

さて、スタッフKがこれらの証言を終えた後、最後に井上裁判官から追加でなされた質問があった。それは、「(会議では)退職が問題になってるって話なんですけれども、それは黒瀬さんについてですか、それとも安西さんについてですか、それとも二人についてなんですか」というものである。これは、黒瀬・安西を等しく不貞行為の加害者として見なしていたというスタッフK、社員Fによる発言や、「どちらかを重く処分するというのは公平ではない」と考えていたという黒瀬の証言に反して、2020年6月5日の会議で安西の退職という処分のみが問題となっているように見てとれることを受けて、その内実を確認し、またスタッフKに弁明の余地を与える意図が読み取れる質問であった。

この裁判官の質問に対して、尋問が終盤に差しかかって憔悴した様子のスタッフKは、会議で話し合われたのは安西の退職についてであり、黒瀬の解任といった処分は議論にあがらなかったことをあっさりと説明した。その後、スタッフKはその理由として、黒瀬の処分は「被害者である黒瀬の妻のニーズになかったため」に特に検討されることはなかったと述べている。裁判官から追加で行われたこの質問によって明らかになったのは、「等しく不貞加害者」であるとされたはずの黒瀬・安西が受けた処分の非対称性について、彼は今もなおとりわけ違和感を抱いていない様子であるということであった。

おわりに


カオスラ弁護人:あと、ちなみにあなたは、最後に一点だけ。会社法とか何か労働法とかそういうのって勉強したことありますか。
社員F:いや、全然なかったです。
カオスラ弁護人:何学部ですか。
社員F:芸術学部です。

約7時間にも及ぶこの日の尋問は、カオスラ弁護人から社員Fに対して最後に追加で行われた上記のやりとりで幕を閉じた。もちろん、このやりとりに関して回答者である社員Fに非はない。ただ、「芸術学部出身」というバックグラウンドを法律を理解していないことを看過する理由として用いるようなこの問いかけでこの長時間にわたる尋問が終わったことには、芸術家をその美的な才能によって時に社会的な責任さえパスできる存在として捉える語りが根強く残る現代の状況において、象徴的なものを感じずにはいられなかった。

ここまで本稿では、安西、黒瀬、スタッフK、社員Fのそれぞれがこれまで展開してきた主張と尋問で行った証言の内容を整理してきた。本稿では、両者の主張の全体像を掴み、議論の土台を作ることを目的として進んできたが、結果としてそれぞれが語る事実や認識の差異が浮かび上がり、様々な問いが出てきたのではないだろうか。黒瀬・カオスラによる安西へのパワー・ハラスメントおよび退職勧奨の有無という争点については、例えば次のような問いが生まれうるだろう。「黒瀬・安西の処分の非対称性はその事情に鑑みればやむをえなかったのか?」、言い換えれば、「黒瀬の妻の要望や安西が起こした一件のトラブルといった要素によって、黒瀬が活動を存続する一方で安西のみが退職するという、両者の処分の非対称性は正当化されうるのか?」。また筆者が重要であると考える問いとしては、「黒瀬、スタッフK、社員Fは黒瀬の妻からの訴訟リスクを強く危惧していたのに対して、なぜ安西が退職に至った場合に安西から抗議や訴訟を受けるリスクについては考えなかったのだろうか?」というものもある。

黒瀬と安西の異性関係の発端になったと安西が主張するセクシュアル・ハラスメントの有無というもう一つの争点についても、様々な疑問が生まれうるのではないだろうか。例えばそれは、「安西は断ろうと思えば誘いを断れたのにそうせず、自ら黒瀬と関わり続けたともいえるのだから、後からセクシャル・ハラスメントであったと訴えるのは不合理なのではないか?」というものであったり、「安西がセクシャル・ハラスメントの被害者であるとすれば、加害者である黒瀬と後に恋愛関係に陥ることはあり得るのか?」というものであったりするだろう。また、そこには「黒瀬が今後現代美術業界に復帰することは不可能なのだろうか?」というより大きな問いもあるかもしれない。この最後の問いについては、前述の様々な問いが十分に議論された後に考えることになるだろう。

本レポートの後編では、本稿で整理した安西と黒瀬・カオスラ両者の主張を踏まえて、これらの問いの検証を行っていく。筆者は、本訴訟で明らかになったそれぞれの認識の差異を追求し、その差異を生むものについて考え、より多くの人々に問いを共有することは、日本の現代美術業界の構造的問題を考えるにあたって重要なステップの一つになると信じている。







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